日記

破剣クロニクル(著:すぎやまリュウ)

2015.10.07

ちょっと前はMF文庫の本ばかりを読んでいたのですが、色々なレーベルが出てきた中で、気付けばこの緑の背表紙の本を読むのは久しぶりな気がします。
内容としてはMF文庫らしいファンタジー擬人化魔剣モノのライトノベルです。

☆画野朗先生のふわふわしたかわいい系のイラストと、作品の世界観は非常にマッチしていると思います。

登場する女の子たちはそのイラストの力もあってか、とても可愛いです。
魔剣である彼女たちの髪を洗うことで、刃を研ぐことができる…シチュエーションとしてはわかりやすく、よく出来ていると思います。

が、描写が丁寧すぎるのか、一向に話が進んだ感じがしないというのが正直なところです。仲間も増えて、目的も出来て…と一応オチはついていますがエピーローグ的なお話を引き伸ばした感が否めません。
ほとんど必要のない地の文や掛け合いを読まされている印象が強く、また一つのセンテンスに複数の事象が混在しているためか意味を汲み取りにくいです。

というわけで、ストーリーが全体的に冗長な描写で展開されており、その展開自体も特に驚きや緊張感を持つものでもなく、少し退屈です。
主人公の女の子に対する反応が『ToLOVEる』のリトよろしく、変わり映えしないのも飽きが来る一因かもしれません。ここらへんは好みもあるとは思いますが…。

分かりやすい設定と、魅力のあるキャラクターが構築できているだけに、惜しいところです。
で、続巻でシオンちゃんは救済されます…よね?

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戦艦学園のグラムリッター 問題児な魔道士と愚劣な指導官(著:手島史詞)

2015.10.04

最近だと、『空戦魔導師候補生の教官』や『ロクでなし魔術講師と禁忌教典』などの刊行で盛り上がるかと思われた指導教官モノ(?)ですが、あまり増えていないような気が…そんなライトノベルです。

E.G.コンバット』に代表されるこの手の作品は私が好きなジャンルの一つです。
実力のある主人公が、事故やライバルに蹴落とされたりなどして前線を離脱…紆余曲折を経て一癖も二癖もある生徒を教えることになり、様々な経験を積みながら彼らを導いていく。
主人公の奇抜な指導方法、生徒の成長過程、驚きの結果。そういったものを楽しむジャンルだと思います。

設定としてはIS+空戦みたいな感じでしょうか。ISよりはファンタジー寄り、空戦よりは権力支配の構造が軍事色の強いものとなっている印象です。
そして、ガルパンやラブライブといった…そんな感じの要素も入っていて、作品としては色々広がりがありそうなものになっています。

と、類似の作品が思い浮かぶ中で、作品の独自性を担保するような面白さがあるかというと…。
この巻の内容は殆ど王道というような展開なので、あまり驚きはありませんが、そういった展開は消化しきった感がありますので、続巻に期待ということで。

カスカベアキラ先生のイラストを楽しむのもアリです。

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Lance N’ Masquesランス・アンド・マスクス(著:子安秀明)

2015.10.01

本日放送が開始される同名アニメの原作になります。

子安秀明先生といえば…調べてみるとなかなか著名なアニメの脚本を書かれている方のようです。

表紙をみた瞬間、ゴスデリや幻惑のディバインドールといった単語が思い浮かびましたが、特に関連性はありません。

騎士として育てられた主人公の葉太郎君は、普通の生活に憧れて家出をします。
しかし、幼い頃から培われてきた騎士道精神を盾に東へ西へ、女の子の悲鳴あらばと方方を駆けまわっては変態扱いをされる毎日。
そして市井のレディでは飽きたらず、ついには10歳年下の箱入りお嬢様に手を出す始末。
とはいえ、普段から数撃ちゃ当たるとばかりに女の子にお触りしてきた甲斐あってか見事にハートをゲット!…だいたいこんなお話です。

騎士で馬ということで、アニメではワルキューレロマンツェみたいなバトルシーンもあるんじゃないかとテキトーに思ってます。

読んでみて…正直、本の厚さに対して内容がかなり薄い印象です。
設定も展開も平易で、読みやすいといえばそうなのかもしれませんが…。
あとがきの感じではアニメ化は当然の流れような気もするので、もうちょっとオリジナルっぽさ(?)を出しても良かったんじゃないかなと。

あとがきといえば、昨今ではあまり見ない痛い掛け合いがラストに載っている点がとても評価できます…私は嫌いじゃありません。

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この素晴らしい世界に祝福を! あぁ、駄女神さま(著:暁なつめ)

2015.09.30

最近、粗製乱造されていると噂の異世界転生モノ…いわゆるなろう系のライトノベルです。
といっても、この手のジャンルは最近出てきたわけでもなく、一定のお決まりがあるのか安定して読める作品が多い印象です。

現世(?)から異世界に転生する際にもらえるチートな能力や武器の代わりに、その説明してくれた女神様をご所望して一緒に異世界へ転生、ともに冒険をし魔王を討伐する…というのが目的のようです。

癖のあるキャラクターたちとのドタバタ劇が全編にわたって展開され、コメディ色の強い作品になっています。冒険はときに生命の危機と隣り合わせの厳しい世界となっているようですが、ほとんどギャグのような掛け合いのおかげであまり緊張感はなく、ユルユルとお話が進行します。

所々クスっとする要素はあるものの、面白いかというと…どうなんでしょう。アニメ化が決まっているということなので、恐らくアニメ映えするような作品なのだと思います。

次巻を買うかどうかは未定です。
あと、三嶋くろね先生のイラストはとてもいいですね(これが言いたかった)。

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片想い(著:東野圭吾)

2015.09.22

東野圭吾作品は数が多いので、刊行されているもののうち何割を読んだのか判然としませんが、この作品は今のところ『白夜行』の次くらいに面白いと思いました。

「学生時代の部活仲間」「語り草になる最後の試合」幾つかの状況が、読んでいて共感、カタルシスを与えてくれます。
といっても、事実は小説よりも奇でもなんでもなく、私自身は教官の不興を買って後輩たちと険悪になるような不届き者でしたが…。

ともかく、この物語が突きつけてくるのは、友情や愛、血のつながりでさえも超えられない壁が私たちの間には常にあるのではないかということです。
主人公?のQBこと哲郎が方々を駆けまわり出会う人々は一様に険悪な態度を取ります。これは説明するまでもなく当然なのですが、しかし、その態度は彼らが向き合ってしまった社会に流れる常識、認識というものの持つ力の強大さを表しているように思います。

つまり、他人はどこまでいっても他人であり、その間にある理解というものが本質を表しているとは限らないということです。
それをある程度許容してくれるのが常識であり、法であり、言語であると思います。作中でも言及されているように、つきつめれば明確な根拠はほとんどないのでしょう。時に科学的な論理ですら、その正当性に疑問がでることはよくあることです。
しかし、正しいか正しくないかに関わらず、大多数が信じているものを自らも信じることは社会性を保ち、生活を維持する上で必要なことであるようにも思います。その信じる力の大きさがある種の人々を苦しめている…かもしれないということです。
そうすると、理解というものにはほとんど意味が無いような気がしてきますが、時に人を理解したいと考えることはよくあることではないでしょうか。

完全な理解というものは傲慢な言い方ですが、言語という意味を持つ記号の集合体でそれを表すことができたら、それは素晴らしいことであると同時に、とても恐ろしいことです。
自分以外の他者とは、自分の理解によって他人でいることができ、自分以外の理解によって自分自身が他人でいられる。ここで言う理解とは、ただ存在を認識している程度のことに過ぎません。これが完全なものとなるならば、他人などただのモノに成り下がるような気がします。

普通は理解したいとは思えど本質まで踏み込むことは中々ないと思います。その本質というものも自分の認識で捉えるしかない以上、やはり理解というものには限度がありそうです。
本当はもっと色々な事象や要素が絡んで人間関係ができあがっているのでしょう。経験などは言葉にしやすいものだと思います。それでも、本質を理解することはとても難しいことのように思えます。

極端な例だと、私は戦争体験などがそれにあたると考えることがあります。戦争は悲惨なものであり、今の時代からは考えられないような現実がそこにあった…言葉では理解できます。本当です。
ですが、私はいくら訓練したところで、戦場では使いものにならないでしょう。銃の重さに負け、国を背負うことの重さに疲れ、国民の期待に潰されるのだと思います。死にたくはありません。ですが、たとえ私が戦争反対を訴えたとしても、その言葉には実体験が伴っていません。実体験がなくとも人は話せますし、他人を納得させることはできるのでしょうが、私はその根拠に疑問をもたざるを得ません。その実、なにがあっても戦争にはならないだろうとか、高をくくっているわけです。平和にボケちゃってるとも言います。そして、より深く理解することを放棄しています。
例えば、ネットで有名な硫黄島戦闘体験記というものがありますが、これをほとんど娯楽として読む自分がいます。しかも、脚色なしの真実(かどうかはわかりませんが)とくれば、そのリアリティ?により一層娯楽性を見出すわけです。日記を書かれた方の意図は不明ですが、私の読み方…楽しみ方は人によっては不快に思われるかもしれません。しかし、私の外向けの認識が概ね常識的な範囲であれば、咎を受けることはないのでしょう。私にとって、これはとても小さなことです。

作中では、登場人物それぞれがほとんど明確な意思表示をします。これは物語としては当然ですが、しかしそれをお互いが理解しあっているかどうかはかなり不明瞭です。学生時代に部活動を通して得られた理解は、所詮ゲームのルールの上に成り立つものでしかなく、社会人となり、立場が変わっていくなかで、彼らの友情や愛情では超えられない壁にぶつかってしまう。そういったことは現実でもよくあることです。それでも主人公は仲間の姿を追い求めました。
各々が別の道を行こうとする中で、ある共通の地点で立ち止まったとするならば、そこからはかけがえの無いものが見えたはずです。

助けることはできないかもしれない、理解することは難しいかもしれない、一緒にはいられないし、敵になることもある…もしかしたらイイことがあるかもしれないし、ないかもしれない。
他人と関わって得られるものは、有意義な時間、金銭、欲求を満たす何か…しかし、それを得られないとわかっていても、その先にはなにもないと知っていても、それでも人は他人に関わろうとすることがあります。
その瞬間、人は人が生きる理由の一端を垣間見るのかもしれません。

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